★思い出の紀行(韓国)<8慶州国立博物館へ

慶州国立博物館へ。

古墳公園も含め、慶州市街中心部の皇吾洞、皇南洞、仁旺洞への地区は、古墳が密集している。その一角に慶州国立博物館はある。
約二万坪の敷地の中に、先史時代から統一新羅時代に至るあらゆる遺物が収集展示され保存されている。本館である八百二十坪もある展示場だけでも約二千五百点、全体では約三万点もの遺物が収蔵されていると言われる。研究者にとっては、時間も忘れてのめり込むほどの数々である。

我々は、スケジユールの時間に制限され、ほとんど流し見るだけの有様である。
それはそれで良いとして、雰囲気を味わうだけでも、その悠久の歴史を感じる。
私に与えられた時間は、わずか30分であった。
本館の左手の庭園には、首のない石仏。そして鼻の部分をもがれた頭部。李朝時代の仏教弾圧によってうち捨てられた石像は、この地に寄せ集められ長い風雪にさらされていた。
また、本館の南側の正面には二つの石塔。そして発掘された石塔の下敷きとなった石造物の数々が所狭しと無造作に列べられ展示されていた。

そして、本館の右手には、悲しい伝説に包まれていると言う巨大なつり鐘が保存されている。このつり鐘は、771年に完成した韓国最古で最大の物であり国宝に指定されている。もともと慶州市街の北方の北川沿いの奉徳寺にあった寺鐘で奉徳寺鐘と呼ばれ、その表面には、飛天像が描かれている。
この悲しい伝説を含んだ寺鐘は、エミレーの鐘とも呼ばれ、巨大なる寺鐘ゆえに製作には数々の失敗が繰り返えされた。そしてついに幼い子供を人柱にする事によって完成をみたと伝えられている。そのため、この鐘の音は、溶鉱炉に投げ入れられた女の子のエミリー、エミレー(お母さん)と泣き叫ぶ声の様に響くと言う。

 千年の歴史を持つ慶州路。最低でも二日、じっくり見るとすれば十日はかかると言われている。我々は、スケジユールとは言え、わずか半日で見ると言う、まさにダイジエスト版の中のダイジエストと言う短時間の慶州路であった。
そして、我々は再び釜山へと帰ることになった。

 韓国最後の夜は、何はともあれ焼き肉である。
我々は、釜山港の伽耶会館へと辿り着いた。炭火で焼く骨付きカルビ、丸ごとのニンニク、テーブルに列べられた盛りだくさんの品々、カルビは頃合いを見てハサミで一口大に切り分けられる。
サンチュの葉に包み、好みの具や薬味と共に食する。淡白な韓国のビールの味と共に、口の中で広がるカルビ肉のジユーシーな味。さすがに本場の味。ウマイ!いくらでも食べられる感じである。
我々七人、それぞれの思いで味合う味合いは、いつしか共通の体験となり饒舌な世界を作り上げててゆく。大皿で出される韓国風お好み焼き、激辛ホルモン焼き、もう止まることを知らない。韓国の淡白なビールの味が良く解る。日本のビールであれば、これ程までは食べられないだろう。
その国の食文化が性格を作ると言われるが、一般的に感情的で激しい韓国人の性格は、どうやらこのあたりにあるのかも知れない。
充分に食したにもかかわらず、我々は、ロツテホテルのナイトラウンジに場所を変えることになった。

 伽耶会館とは打って変わって、静かに時は流れる。やや薄暗い照明の中でキヤンドルが揺らいでいる。炎の先に顔がある。生バンドの女性シンガーの甘い響き、リクエストされた「タイタニツク」の主題歌。我々のテーブルには、それぞれ異なる七種類のカクテル。お互いの物を味見しながらの語らい。混じり合いの極致と言われるカクテル。
我々も、一人一人異なるレシピを持った熟成したカクテルのようなものかも知れないと思った。一人の女性が泣いている。こんなに幸せな自分に、涙が流れると言う。
感動することは、人間にしかない雄一の特権である。人は、年と共に感動する事が少なくなって行く。写真は感動するものを素直に写すことから始まる。

人間は生きている間に、どれ程の感動に出会うのだろうか、悲しみの涙は人を強くするけれども、感動の涙は益々感動を呼び増幅してゆく。
私は、その彼女の感性をうらやましく思いつつも、いつまでもみずみずしく感動することには無防備でいたいとあらためて思った。


<9 帰 路□□□□□7古墳公園へ>



2018年05月30日