★思い出の紀行(1999年7月)<01 坊津紀行

21世紀を迎える1999年から2000年にかけての紀行文を読み返す機会が
ありました、18年前の歴史紀行ですが逐次アップしたいと思います。

人間は、何故に生まれて、どこへ行くのだろう。
人は、誰かしらどこかでこの命題と取り組まなければならない時が有るようである。
そんな思いが南薩(坊津)への旅を思い立たせた。
今年で450年目を迎えると言う天文十八年(1549年)八月十五日、鹿児島に上陸したイスパニアのキリスト教宣教師フランシスコ・ザビエルは、「日本人は、気が優しくて勇敢な民族で、秩序を好みモラルも高い。十三歳で剣を使い、ひとたび斗挙すれば死ぬまでがんばる民族である」と当時のヨーロッパに報告し恐れられたように、当時の日本人の代表は坊津人であった。

 

あの司馬遼太郎氏をして「日本を植民地化から救ったのは、坊津人である。」とまで言わせしめた場所、南薩(坊津)。
また、私の遠い先祖の生きたであろう町。私は、その原郷に出会って見たかった。
以前、もう数年前になるが夢の中で「私は、長い石畳の階段を山頂めざして歩いていた。参道の両脇には数百年も経過したであろう杉の大木が立ち並び、登りつめた所が寺であり山門をくぐり奥の院に通されると、そこには懐かしい人々の笑顔があった。」数年経ってもはっきりとその情景が目に焼き付いている。
何なんだろう!そんな思いもあった。

 

 私は、戦後の作家で敗戦直前に坊津に暗号特技兵として配属されたのち、桜島に転属になる戦争体験を素材にした「桜島」で文壇デビューした梅崎春生、彼の遺作となつた「幻化」の中で主人公五郎が辿った道程(―枕崎―防浦―泊浦―吹上浜―)を辿ってみようと思った。

 

<02 坊津紀行・枕崎漁港

2018年04月25日