★思い出の紀行(1999年7月)<02 坊津紀行・枕崎漁港

七月のはじめ、まだ梅雨の明けきらないうっすらと霞みの掛かる昼下がり、私は枕崎魚港にいた。

薩摩半島の西南端に位置し、三方(東に国見岳、北に蔵多山、西に園見岳)を山々に囲まれ、南が東シナ海に開けている漁業を生業とする都市
近世以来の漁港で、日本でも有数のカツオ漁業基地である。昼下がりの漁港は、漁港独特の潮と魚のむせる様な臭いで服を通して肌までしみ込んで来る様である。

分厚いコンクリートの突堤がコの字型に湾を囲み漁港を形成している。湾には就業を終えた漁船が停泊し、またあちこちで陸上げされた船体が立ち並んでいた。

その周りで座り込んで語り会っている人々。昼下がりの漁港は、日射しの中で時間が止まっている様に思えた。
何もかもが、山育ちの私には目新しく思えた。
小学校まで鹿児島で育ったとは言え数十年余りの歳月は、農耕民族が初めて漁労を生業とする民族を見る様な味わいである。

 

私が、鹿児島で育つた時代、父がよく酒の席で「おまんさぁは、どこいっとなぁ!」
「あたいは農協貯金しぃ!」と独特の枕崎弁で冗談混じりに語っていた事を思い出す。
それ程、カツオの漁獲高が最高の頃だったのであろうか?昭和の三十年代の頃である。
現在でも海岸通りには、南薩地場産業振興センター、かつお公社、お魚センターがあり
特産のカツオを中心にした水産加工所が立ち並んでいる。
しばらくして私は、陸上げされた船体を水洗いしている五〇がらみの男性に声を掛けた。
「坊津は、どっち行けばよかですか?」無理に鹿児島弁で声を掛けた。やけに赤茶けて、潮光りのした顔が振り向いた。カメラ片手に突っ立っている私に、坊津への道を指さして丁寧に教えてくれた。枕崎弁を期待していたが、意外と標準語に近い口調であった。



枕崎港を後にし市街地を抜けると途中に火之神公園への標識が目に付いた。約4㌔と言うことで、寄り道をすることにし海岸線を南下した。

左手に堤防を擁する道路を走った突端は、東シナ海に向かって大パノラマが展開していた。
火之神公園!不思議な名称である。

またここは絶好の大物狙いの磯釣りのポイントと言う事で、あちこちに釣り人が岩場に腰を据えていた。すぐ近くの海上には、古来より漁業繁栄の守護神として信仰されていて、枕崎のシンボルともなっている奇岩、立神岩がそそり立っている。高さは42㍍もあると言うことである。

 

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2018年04月26日