★思い出の紀行(1999年7月)<04 坊津紀行・坊の浦へ

坊津は、古来より那の津(博多)安濃津(伊勢)と共に日本の三津と称され、古代から近世へと海外貿易と仏教文化が渾然一体となって栄えた港町である。
日本の古代国家が、唐の文化を吸収することによって建設された様に、古代においては坊津は遣唐船の入唐道であり、中世においては遣明貿易,琉球貿易の拠点であると共に倭寇の最大拠点でもあった。


また、近世においては徳川幕府の鎖国令下では中国、南蛮との密貿易港であり、享保年間における幕府の密貿易に対する一斉手入れによる「唐物崩れ(とうぶつくずれ)」で、一夜にして寒村になるまで海外貿易の西南端の中心であった町である。


また一方、今を去る千四百年以上の昔に建立されたとされる一乗院の歴史と共に仏教文化の花を咲かせた町、明治の初め廃仏毀釈で廃寺になるまで坊津人の誇りであり精神的より所であった一乗院。ある意味では、日本の歴史の縮図とも言える坊津へ、私は足を踏み入れた。


 見取峠を過ぎ、しばらく山間のくねった道を走ると前方に東シナ海が開けて来た。
道は、いよいよ狭まり所々道路拡張のため工事が行われている。坂道を下る頃になると左手の白いガードレール越しに眼下に入江が見渡せた。


入江を抱く様に所狭しと人家がひしめき合っている。鉛色の海は、ひっそりと静まり帰っていた。
防の浦である。

古代から大陸との文化の交易場であったにぎあいはすでにない。枕崎港に比べ、ひっそりと佇む風景はなおさらながら古き悠久の歴史を細々と生き抜いてきた悲哀を感じさせる。


私は、幾分広くなった道路脇に車を停めると、港を見下ろしながらこぢんまりとしたこの小さな港から波濤を越え大海に、人々を挑ませたものは何だったんだろうと考えていた。



<05 坊津紀行・一乗院へ1□□□□□03 坊津紀行・耳取峠>




2018年04月28日