★思い出の紀行(笠沙)<20大当(おおとう)・片浦へ2

湾口の片浦地区の片浦漁港、ワニの口の奥まった所の仁王崎(漁港)、崎ノ山(海抜100㍍)半島の付け根の小浦地区、その東岸の小浦漁港。
藩政時代は、片浦、小浦は加世田郷に属し、浦と呼ばれる行政区に属していた。
小浦には浦役庄屋役所があり、片浦には浦の支配を行う浦役所が置かれ、加世田から浦役一家が赴任し業務に当たっていた。

また片浦には、番所鼻と呼ばれる片浦漁港の突端付近の小高い丘に津口番所が置かれ、船の出入りを改め違法な積荷を取り締まった。今でも、この一帯は番所地区と呼ばれている。薩摩藩の浦に対する政策は、外国船や他領船に対する警備力、上方及び南島との海運力の保持と言うことが主な目的であり、万一に備えて若干の武器も備えられていた。
当時の人口は、昭和六十年頃の人口より多かったと伝えられている。

 加世田郷における浦は、現在の加世田に位置する小松原浦、小湊浦。大浦町の大浦。笠沙町の片浦、小浦であったが、加世田の万之瀬川の氾濫による地形の変化で万之瀬川河口の小松原浦には大きな船が近づけなくなると、片浦は益々薩摩藩にとって重要な位置を占めるようになった。
徳川時代、鎖国により外国船の入港が長崎一港に限定されても、唐船やオランダ船の長崎への航路は片浦沖であり、航行困難な場合は片浦港に停泊することが多かった。
また、度々の漂着や寄港は密貿易の温床となり薩摩藩の財政を支えた。


 時代をさかのぼれば、室町時代においては外国との貿易は明国であった。明国との貿易は勘合貿易と呼ばれていたが、実権を握っていた大内氏(山口県)が滅亡すると、倭寇が再び活動し始めた。倭寇の南方琉球方面への航路は、薩摩からであり坊津(坊・泊)は、その根拠地であり片浦、小浦あたりも拠点であった。
片浦湾を見下ろす丘に立つと唐人も含めて当時のにぎわいが見えるようであった。

 島津中興の祖、日新斉(忠良)の長子、貴久が島津本家十五代を継ぎ三州(薩・隅・日)統一を目指す頃。天文十二年(1543年)中国人の倭寇王直の船に同乗していたポルトガル人により種子島に鉄砲がもたらされた。
六年後、天文十八年(1549年)ポルトガルのザビエルがキリスト教と共に鹿児島に上陸。南蛮との貿易を強く望んでいた貴久は、一時領内でのキリスト教の布教を許可し貿易に力を入れようとするが、僧侶たちの強う反対により禁止する。ザビエルは鹿児島を去り、ポルトガルとの南蛮貿易も途絶えた。
その後、南蛮貿易への渇望は島津十六代義久(貴久の長子)に受け継がれてゆく。
義久の時代は、三州統一が完成する時期である。

元亀三年(1575年)木崎原の戦い(えびの市)において日向の伊東氏に致命的な打撃を与え、天正五年(1577年)に日向国を完全に制覇し三州統一を成し遂げる。
さらに島津氏は、九州制覇へと突き進み肥後、豊後を従えてゆくが豊臣秀吉の九州遠征により無条件に降伏する道を歩く。


 その頃、片浦にスペイン船が、ルソンからヒスパニア(メキシコ)に向かう途中、嵐を避けるために入港した。南蛮貿易の独占を計ろうとする秀吉の圧力もあったが、スペインとの交易も盛んに行われるようになり、スペインのアジアにおける根拠地は、ルソン島マニラであり、マニラの日本人町は最大級のものであったと伝えられている。

 二年程前、ひょんなことからフィリピン(マニラ、ミンダナオ)に旅する機会があった。
西暦1521年マゼランによるフィリピン発見以来、スペイン軍は次々と島を占領して西暦1571年にマニラを落として350年にわたり統治する。
マニラ市の中央に位置する所に城塞を作り、フィリピン統治の根拠地としたと言う。
イントラムロスと呼ばれている、今でもその跡が残っていると言う。
スペイン統治以前、フィリピンはアジア大陸から渡ってきたマレー系の民俗が、幾つもの小社会を作っておりイスラム教であった。
スペイン人は、イスラム教を排し統治をたやすくするするためにキリスト教を導入した。
あちこちの島や場所には、立派過ぎる程の教会が建っているが、地元の人の結婚式に立会人として出席する機会があり、バロンタガログ(フィリピンの礼服)を着せられ列席し膝をついてお祈りする体験は、今でも縁とは言え不思議な感じがする。
思えばマレー系、チャイナ系、スペイン系とひと目で分かる顔立ちの人がいたことが思い出される。暑い季節であった精か、毎日、水がわりにサンミゲルと言うビールを飲んでいた様な気がする。
現在、イントラムノスの城壁跡の近くには、チャイナタウンがあると言うことであるが、一六世紀当時の日本人町もこのあたりにあったのであろう。イントラムノス近くのホテルに滞在しながら、知らない事とは言え城塞跡やチャイナタウンに行けなかったことが今では残念である。


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2018年05月19日